歌えるだろうか


阪神淡路大震災から5年ほどたってから作られた、 震災をモチーフにして希望をうたった曲。

良くも悪くも、願いが込められた素晴らしい曲である。

今までこれをあたしがなんとか歌えていたのは、 揺れたとは言えど自分自身には何も被害が無かったこと

震災から数年が経っていたことによって、 多少あったショックもどこかに忘れてきてしまっていたからだと思う。

しかし今週(2004年11月23日)、この曲を歌うことが決まっている。

今回、私の住む街が揺れることはなかった。

しかし、それゆえにこの歌をうたうことの責任の重さがあるような気がしてならない。

今も揺れているかの地をどう受け止めればいいのか。

10年前のみならず、台風で被害を受けたあの島をどういたわればよいのか。

傷ついた心を身近に感じないからこその、ある種の焦りを感じている。



何より今、現在進行形の話である。



想像がつかないだけに、軽く扱ってしまっている自分がいる。

想像がつかないだけに、軽く扱えない気がしている。



またさらに、この曲の直後が自分がリードをつとめる曲になっていることに先日気づいた。

その曲は、まさしく勝利を高らかに宣言する喜びの曲である。









・・・ものすごく不安だ。














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